敦賀の歴史年譜
区分 | 西暦 | 和暦 | 出来事 |
縄 文 |
BC10000〜2000 | 鳥浜貝塚 縄草創期〜前期(13000〜5500前)発掘 櫛川鉢谷遺跡・木崎山南斜面遺跡発掘 |
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弥 生 |
一世紀 | 吉河(よしこ)遺跡で稲作が始まる。 | |
四世紀 | 小谷ケ洞1.2号墳、明神1.3号できる。 神功皇后の三韓征伐 伊奢沙別命(笥飯神)は神代より此の地に鎮まり給うた。 ツヌガアラシト加羅国(任那)より渡来。 |
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五世紀 | 立洞二号墳、向出山1.2号墳できる。 継体天皇、越の国(三国)よりヤマト王朝に迎えられる。 |
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六世紀 | 明神山9号墳、向出山3.4号墳、山ノ上1号墳できる。 櫛川遺跡で製塩跡。 |
飛 鳥 |
571 | 欽明31 | 高句麗の使いがコシ(越)に来着。ヤマト国家が越の国に関心を持ち始める。 |
589 | 崇峻2 | 阿部臣が北陸道に派遣される。 | |
667 | 天智6 | 都を大津に移す。この年から後に日本三関の一つ愛発関が設置される。 | |
691 | 持統6 | 越前国が『日本書紀』に初めて見える。 | |
701 | 大宝元 | 大宝律令が制定される。律令制の地方行政区画として角鹿郡が置かれる。 | |
奈 良 |
710 | 和銅3 | 平城京に遷都する。 |
713 | 6 | 角鹿郡を敦賀郡と改める。 | |
716 | 霊亀2 | 藤原武智麻呂が気比神宮寺を建立すると伝える。 | |
727 | 神亀4 | 渤海国との国交が開かれる。 | |
731 | 天平3 | 我国に初めて気比神が従三位の神格を授けられる。 | |
736 | 3 | 最澄大師が誓法山金前寺を建立したと伝える。 | |
758 | 宝字2 | 渤海使が越前に来着する。 | |
764 | 8 | 恵美押勝の乱が起こり、恵美押勝の軍と物部広成の軍と愛発関で戦う。 | |
789 | 延暦8 | 愛発関が廃止される。 |
平 安 |
794 | 延暦13 | 平安京に遷都する。 |
823 | 弘仁14 | 敦賀郡が分けられ今立郡が成立する。 | |
829 | 承和6 | 気比社に遣唐使の無事帰着を祈願する。 | |
871 | 貞観13 | 越前の百姓、国司弘宗法の非法を訴える。 | |
893 | 寛平5 | この年までに気比大神が正一位勲一等に叙せられる。 | |
927 | 延長5 | 延喜式神明帳がまとめられる。神明帳に記載された神社を式内社とする。 | |
929 | 7 | この年を最後に渤海使がやむ。 | |
996 | 長徳2 | 紫式部が越前に下る。 | |
1060 | 康平3 | 宋人林表・俊改が敦賀に来航する。その後、宋人たびたび来航。 | |
1104 | 長治元 | 気比社神人が国司の非法を訴え、陽明門に群集する。 | |
1150 | 久安6 | 平重盛敦賀・琵琶湖運河開発を計画したと伝えられる。 | |
1182 | 寿永元 | 木曽義仲が敦賀郡を占拠する。 | |
1184 | 元暦元 | 源頼朝が比企朝宗を越前の勧農使に任ず。 | |
鎌 倉 |
1192 | 建久3 | 源頼朝が征夷大将軍に任ぜられる。 |
1221 | 承久3 | 承久の乱起こる。島津(惟宗)忠久が越前守護になる。 | |
1281 | 弘安4 | 蒙古襲来により気比社に奉幣される。 | |
1301 | 正安4 | 遊行上人他阿真教が敦賀に来る。(砂持ち神事の始まり) | |
1324 | 正中4 | 大地震により気比社諸殿が倒壊する。 | |
1331 | 元安元 | 後醍醐天皇が気比社造営料に敦賀升米をあてる。 | |
南 北 朝 |
1336 | 延元元 | (建武3)新田義貞、桓良、尊良親王が敦賀に入る。足利尊氏が幕府を開く。 |
1337 | 2 | (建武4)足利軍に攻められ金ヶ崎城が落城する。 | |
1338 | 3 | (建武5)新田義貞が斯波高常と戦って越前藤島で戦死する。 | |
1349 | 正平5 | 斯波高常にかわって細川頼春が越前守護になる。 | |
1338 | 5 | (応安元)良如が西福寺を建立する。 | |
1390 | 元中7 | 後円融天皇の院宣により西福寺が勅願寺となる。 | |
戦 国 |
1467 | 応仁元 | 応仁の乱が始まる。 |
1471 | 文明3 | 朝倉孝景が越前守護となる。朝倉景冬が敦賀郡司となる。 | |
1501 | 文亀元 | 朝倉氏が川舟座の公事銭等の座法を定める。 | |
1503 | 3 | 朝倉教景が敦賀郡司となる。 | |
1511 | 永正8 | 庄の橋の造営料とおして寺庵に十分の一の税を課す。 | |
1528 | 享禄9 | 遊行第25世他阿仏天が新善光寺退隠する。 | |
1531 | 天文元 | 朝倉氏が近江屋の入買いを禁止する。 | |
1538 | 7 | 海賊が手浦を襲撃し、刀祢が戦死すr。 | |
1557 | 弘治3 | 気比社が始め民家100戸焼失する。 | |
1566 | 9 | 若狭にいた足利義昭が敦賀に入り、翌年一乗谷に向かう。 | |
1568 | 11 | 織田信長が足利義昭を奉じ上洛する。 | |
安 土 ・ 桃 山 |
1570 | 元亀元 | 織田信長が天筒山・金ヶ崎城の朝倉軍を攻め、落城させる。 浅井長政の裏切りにより京に撤退する。 |
1573 | 天正元 | 織田信長に攻められ、朝倉氏滅亡。(刀根坂の戦い) | |
1575 | 3 | 織田信長が一向一揆勢攻めのため敦賀に着陣。(木の芽山地の戦い) | |
1582 | 10 | 本能寺の変が起り、織田信長が自害する。 | |
1583 | 11 | 賎ケ岳の戦い 柴田勝家自害する。蜂屋頼隆が敦賀の領主となる。 | |
1589 | 17 | 大谷吉継が敦賀の領主になる。 | |
1591 | 19 | 文禄の役が起こり、敦賀郡内からも朝鮮出兵の水主が徴用される。 | |
1593 | 文禄2 | 西福寺阿弥陀堂を一乗谷から移築したと伝える。 | |
1597 | 慶長2 | 慶長の役が起こる。大谷吉継が「朝鮮鐘」を持ち帰えったと伝える。。常宮神社蔵。 大谷吉継が敦賀郡の塩年貢改めを行う。 |
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1598 | 3 | 豊臣秀吉が死去する。敦賀郡で太閤検地が行われる。 | |
1600 | 5 | 関ヶ原の戦い大谷吉継自刃。 徳川家康が結城秀康に越前国を宛行う。 |
江 戸 |
1602 | 7 | 結城秀康が常宮神社を再建する。宿駅伝馬制度を定める。 |
1603 | 8 | 江戸幕府開く。結城秀康が気比社、西福寺、天満神社などに寺社領を寄進する。 | |
1613 | 18 | 京都所司代板倉勝重が山中村に往還荷物の掟書を出す。 | |
1615 | 元和元 | 一国一城令が発せられ、翌年敦賀城が破却される。 | |
1623 | 9 | 松平忠直の配流が決定する。 敦賀馬借座の数が決まる。 |
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1615 | 寛永元 | 松平光長が越後高田に移付され、敦賀郡は幕領代官島田成重が支配する。 小浜藩主京極忠高が敦賀郡を加増される。 |
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1633 | 10 | 幕府巡見使が敦賀に来る。 | |
1633 | 11 | 小浜藩主酒井忠勝が茶町、池子町の町立て、今橋の架橋を命じる。 | |
1635 | 12 | 酒井忠勝が領内のキリシタン改めを命じる。 | |
1639 | 16 | 鎖国が完成する。 | |
1640 | 17 | 小浜藩が領内の人口を調査する。 | |
1642 | 19 | 酒井忠勝が気比社の祭礼を見物する。 大凶作・敦賀大火。 |
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1645 | 正保2 | 気比社の大鳥居が建てられる。 | |
1656 | 明歴2 | 立石浦が酒井忠勝を祭る国守大明神を創建する。 | |
1659 | 万治2 | 小浜藩が領内各村に年貢・小物成の書き上げを命ずる。 | |
1661 | 寛文元 | 大津・敦賀・小浜の町人が西廻り航路普請の中止を訴える。 小浜藩が柴田権右衛門に市野々新田開発を許可する。 |
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1662 | 2 | 近江国高島郡で大地震、敦賀にも被害。 | |
1663 | 3 | 小浜藩が領内の人口調査を行う。 | |
1664 | 4 | 敦賀に茶仲が成立する。 | |
1665 | 5 | 打宅宗貞の妻清月院が亡夫の供養のために時の鐘を鋳造する。 | |
1687 | 7 | 敦賀郡中が幕府巡見使に西廻り航路の差止めを願う。 | |
1688 | 8 | 酒井忠直が酒井忠国に一万石を分地し、加地山藩が成立する。 | |
1671 | 11 | 敦賀町升などの升が江戸升に改められる。 | |
1672 | 12 | 河村瑞賢が西廻り航路を改良する。 | |
1675 | 延宝3 | 小浜藩が領内の寺社改めを行う。 | |
1682 | 天和2 | 酒井忠稠に一万石、、酒井忠垠に三千石分地し、鞠山藩と旗本井川領が成立。 | |
1684 | 貞享元 | 鞠山藩、井川領の村付けがなされる。 | |
1687 | 貞享4 | 鞠山に陣屋が造られる。 | |
1689 | 元禄2 | 松尾芭蕉敦賀に来る。 | |
1690 | 3 | 池見新田の検地が始まる。 | |
1694 | 7 | 川向御所辻子町より出火、365戸焼失、大洪水。 | |
1695 | 8 | 敦賀町の火消役制を定める。 | |
1697 | 10 | 津山城受け取りのため、敦賀町に調達金が課せられる。 | |
1700 | 13 | 加地山藩が野坂稜10ケ村の検地を行う。この年までに刀祢村、杉箸村で石灰焼が行なわれる。 | |
1701 | 14 | 川向町から出火、180軒焼く。大洪水となる。 | |
1702 | 15 | 生類憐みの令につき村役人より請書をとる。 | |
1708 | 宝永5 | 黒河山山論が江戸にて栽許される。 | |
1709 | 6 | 郡内の人口調査を行う。 | |
1716 | 享保元 | 享保の改革が始まる。 | |
1721 | 6 | 全国一斉に人口調査が行なわれる。 | |
1724 | 9 | 今橋が架け替えられ土橋となる。 | |
1727 | 12 | 郡奉行が廃止され、代官一人制となる。50年来の大雪となる。 | |
1742 | 寛保2 | 浮買座が廃止される。 | |
1752 | 宝暦2 | 泉村で石灰の生産が始まる。 | |
1757 | 7 | 井川領11ケ村の分郷が行なわれる。 | |
1759 | 9 | 鞠山藩領24ケ村の分郷l 幸若屋敷が若狭街道沿いに移る |
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1762 | 12 | 大雪、一丈六尺余りとなる。 | |
1770 | 明和7 | 敦賀郡の百姓が調達金に反対し強訴する。町奉行ら更迭。 | |
1773 | 安永2 | 敦賀町大洪水。 | |
1783 | 天明3 | 馬借騒動起こる。大洪水。小浜藩が大凶作のため敦賀の津留めを行う。 | |
1784 | 4 | 百姓一揆が起り、米商人が打ちこわしにあう。 | |
1787 | 7 | 寛政の改革が始まる。 | |
1793 | 寛政5 | 幕府も小浜藩にも海防の手当てを命じる。 | |
1798 | 10 | 幕府が小浜藩札の発行を許可する。 | |
1803 | 享和3 | お茶屋が御陣屋と改称される。 | |
1806 | 文化3 | 伊能忠敬が敦賀を測量する。 | |
1807 | 4 | 敦賀町に倹約令が出る。大洪水。 | |
1809 | 6 | 金ケ辻子より出火、125軒焼失。大波浪により大比田浦の塩田流失。 | |
1813 | 10 | 小浜藩が領内に二万両の冥加金を課す。 | |
1816 | 14 | 敦賀と疋田間の舟川開通する。 | |
1818 | 文政元 | 舟川の完成により馬借座が廃止される。 | |
1822 | 5 | 小浜藩が石灰の他国販売を許可する。 | |
1824 | 7 | 敦賀の細工昆布仲間の結成が許可される。 | |
1825 | 8 | 異国船打払い令が出る。 | |
1826 | 9 | 勝山藩が野坂領に取締方を二名置く。 | |
1827 | 10 | 小浜藩が敦賀領に米手形会所を設ける。 | |
1828 | 11 | 疋田村が駄口村との入会山について代官所へ強訴する。 | |
1830 | 天保元 | 大地震 | |
1832 | 3 | 小浜藩が日光普請手伝いを命ぜられ、敦賀に調達金を課す。 | |
1833 | 4 | 天保の飢饉が起る。敦賀の富商らによって本勝寺で芋施行が行なわれる。 | |
舟川が廃止され、馬借座が復活する。 | |||
1835 | 6 | 井川領が再び小浜藩預かりとなる。 | |
1836 | 7 | 津留めが行なわれる。富商らによって長遠寺で芋施行が行なわれる。 | |
1837 | 8 | 幸浜町より出火、660余棟が焼失。小浜藩が調達金の勝手融通方を設ける。 | |
1838 | 9 | 天保の改革が始まる。 | |
1842 | 13 | 敦賀町に倹約令が出る。 | |
1845 | 弘化2 | 敦賀町洪水。 | |
1848 | 嘉永元 | 敦賀で大砲の銑玉鋳造が始まる。 | |
1851 | 4 | 酒井内匠介が海防のため領内を巡視する。 | |
1852 | 5 | 小浜藩が敦賀郡に調達金6000両を課す。 | |
1854 | 安政元 | 酒井忠義が敦賀の台場を巡視する。松原で大砲の練習をする。 | |
1856 | 3 | 小浜藩が郡内の梵鐘の調査をする。小浜藩が松原で軍事教練を行う。 | |
1858 | 5 | コレラ病が流行する。 | |
1859 | 6 | 神奈川・長崎・函館を開港する。 | |
1862 | 文久2 | 敦賀に函館物産会所が設置される。茶町に本格的な台場が築かれる。 | |
1863 | 3 | 小浜藩に農兵制がしかれる。 | |
1864 | 元治元 | 敦賀の米手形会所が閉鎖される。 水戸天狗党が加賀藩に降伏する。 |
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1865 | 慶応元 | 水戸の天狗党が来迎寺野で処刑される。 小浜藩が軍用金一万両を領内に課す。 |
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1867 | 2 | 加賀藩敦賀・琵琶湖運河開発のため本格的な調査を開始。 イギリス船が常宮浦に停泊する。 |
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1867 | 3 | イギリス公使パークスが敦賀に来る。大政奉還。王政復古。 |
明 治 |
1868 | 明治元 | 鳥羽伏見の戦い。小浜藩の職制を改める。北陸道鎮撫使高倉永佑・四条隆平敦賀に入る。改元、明治維新となる。。 |
1869 | 2 | 版籍奉還、小浜藩・加知山藩・敦賀藩が置かれる。 | |
1870 |
3 | 敦賀藩を鞠山藩と改称する。鞠山藩を小浜藩に合併。本保藩が置かれる。 | |
1871 | 4 | 戸籍区が改変され、敦賀郡は第16区から第21区の6区となる。廃藩置県。小浜藩は小浜県、加知山藩は加知山県、となる。小浜・加知山・本保の各県が廃され、敦賀県となる。 | |
1872 | 5 | 敦賀に二等郵便役所を設置。学制の発布。本勝寺に敦賀最初の小学校、第17区小学が創立する。 太陰暦を太陽暦に改める。 |
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1873 | 6 | 徴兵令公布。敦賀県、足羽郡を合併。大区、小区が改められ、敦賀郡は5大区となる。敦賀県庁舎、永建寺に移る。 地租改正条例公布。 |
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1875 | 8 | 松原神社の称号を許可される。 | |
1876 | 9 | 敦賀郡は廃しされ、敦賀郡は滋賀県の管轄となる。 敦賀街道阿曽トンネルが完成。県内初のトンネル |
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1878 | 11 | 明治天皇、北陸をご巡幸。電信開通する。 | |
1879 |
12 | 第一回県会大津で開く、郡制が施行され、敦賀郡となる。 | |
1881 | 14 | 越前・若狭の二国をもって福井県が成立する。 | |
1882 | 15 | 敦賀線営業開始。(敦賀港駅〜長浜駅)嶺南の県会議員、元老院へ復県建言書提出する | |
1883 | 16 | 敦賀郡役所庁舎を富貴町に新築、移転。 | |
1884 | 17 | 連合町村制により、敦賀郡は九つの連合町村となる。 | |
1886 | 19 | コレラ発生、死者174人に達す。敦賀郡漁業組合が誕生する。 | |
1887 | 20 | 万象閣完成する。敦賀商法会議所設立する。 | |
1888 | 21 | 市制、町村制公布、敦賀商工会を組織する。 | |
1889 | 22 | 町村制施行。敦賀町発足。敦賀郡は一町六村となる。 | |
1890 | 23 | 米騒動起る。府県制・郡制公布。 | |
1891 | 24 | 郡制施行。一郡一町六村体制の確立。 | |
1894 | 27 | 日清戦争始まる。敦賀郡農会が成立する。 | |
1895 | 28 | 気比神社官幣大社となる。日清講和条約締結。日露通商航路条約調印。 | |
1896 | 29 | 北陸線敦賀〜福井間営業運転開始。 | |
1897 | 31 | 歩兵19連隊名古屋から金山に転営する。 | |
1898 | 32 | 敦賀港開港場(外国貿易港)に指定される。 | |
1901 | 34 | 敦賀〜牛荘間に年4回の定期航路が開設される。 | |
1902 | 36 | 敦賀〜ウラジオストク間日本海命令航路開設される。 | |
1904 | 37 | 日露戦争始まる。 | |
1906 | 39 | 敦賀町立商業学校設立。 | |
1906 | 40 | 敦賀商業会議所創立。 | |
1908 | 41 | 敦賀町立手芸学校を敦賀町立女学校と改称する。 | |
1908 | 42 | 市内電話開始 | |
1920 | 43 | 義務教育を六年に延長。敦賀停車場現在地に移転する。 |
大 正 |
1912 | 大正元 | 東京〜敦賀間の国際列車運行開始。 |
1913 | 2 | 敦賀郡役所を津内に新築、移転する。 | |
1914 | 3 | 第一次世界大戦はじまる。 | |
1916 | 5 | 松原村縄間に輸入獣類検疫所が竣工。 | |
1917 | 6 | ロシア革命。 | |
1918 | 7 | 敦賀商業学校県立に移管、ロシア語部を本科として独立。福井市で米騒動。敦賀町でも騒動予防のため軍隊出動する。 | |
1919 | 8 | 敦賀町立女学校が敦賀実科女学校となる。 | |
1921 | 10 | 敦賀青年党が結成される。家屋税撤廃を要求して町民大会開催される。 | |
1922 | 11 | 小浜線全線開通。 | |
1923 | 12 | 敦賀町会、家屋税を廃止し戸数割税復活を決議。関東大震災。 | |
1925 | 14 | 日ソ基本条約調印。普通選挙法可決。 |
昭 和 (戦前) |
1926 | 元年 | 敦賀実科高等女学校を県立に移管、福井県立敦賀高等女学校となる。 |
1927 | 2 | 金融恐慌はじまる。名勝「気比ノ松原」として指定される。 | |
1928 | 3 | 普通選挙法による最初の総選挙実施。笙の川改修工事はじまる。 | |
1992 | 4 | 世界恐慌はじまる。 | |
1930 | 5 | 松原村沓見で小作争議が起る。 | |
1931 | 6 | 満州事変はじまる。敦賀キネマで争議起る。 | |
1931 | 7 | 上海事変はじまる。松原村経済更生指定村となる。 | |
1933 | 8 | 国際連盟脱退。大和田荘七が敦賀町新庁舎を寄付する。 | |
1934 | 9 | 福井県が東洋紡敦賀工場の営業を許可する。 | |
1935 | 10 | 国勢調査で敦賀町・松原村の人口が三万人を突破する。敦賀セメント株式会社設立。 | |
1937 | 12 | 敦賀町と松原村が合併して市制が施行される。日中戦争はじまる。 | |
1941 | 16 | 国民学校令公布。大政翼賛会敦賀支部が結成。太平洋戦争はじまる。 | |
1945 | 20 | アメリカ軍が敦賀湾に機雷敷設。敦賀空襲。敦賀二度の空襲。太平洋戦争終結。アメリカ軍歩兵第136部隊敦賀に進駐する。 |
昭 和 (戦後) |
1946 | 21 |
新選挙法による衆議院議員総選挙(婦人参政権)。敦賀復興事務所開設。新憲法発布。農地改革に着 手。 |
1947 | 22 | 六三制義務教育実施、市長および県知事の公選実施。市議会議員および県議会議員選挙実施。大和田荘七氏死去(享年90) | |
1948 | 23 | 県立敦賀高等学校創立。福井大震災。 | |
1950 | 25 | 朝鮮戦争始まる。ジェーン台風のため被害続出。 | |
1952 | 27 | 敦賀港の安全宣言。市憲章および市歌を決定。 | |
1953 | 28 | 国道八号線竣工。 | |
1954 | 29 | 敦賀市・隣接五ケ村議会で合併を決議。敦賀港が外国貿易港に指定される。 | |
1955 | 30 | 新敦賀市誕生。 | |
1956 | 31 | 旧市一二二町を四六町に整理統合する。日ソ国交回復。 | |
1957 | 32 | 初めてソ連材が敦賀港に入る。 | |
1958 | 33 | 日ソ定期航路協定調印。 | |
1959 | 34 | NHK福井テレビ局開局。 | |
1960 | 35 | 敦賀〜ウラジオストク間直通航路開設。 | |
1962 | 37 | 北陸トンネル完成。敦賀〜福井間電化開通。 原子力発電所建設敷地立石・浦底・色地区に決定。 敦賀半島を若狭湾国定公園に編入。 |
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1963 | 38 | 三八豪雪。 | |
1964 | 39 | 敦賀市農業協同組合、敦賀市漁業協同組合発足。 | |
1965 | 40 | 敦賀・水戸両市姉妹都市盟約締結する。 | |
1970 | 45 | 日本原電敦賀発電所が営業運転開始。 大型フェリー「すずらん丸」就航。 |
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1972 | 47 | 北陸トンネルで列車火災発生。罹災者救援対策本部摂設置する。 | |
1973 | 48 | PCB汚染で対策本部設置する。石油危機で物価高騰する。駅前商店街に大型店が進出する。 | |
1974 | 49 | 国鉄湖西線が開通。新市庁舎竣工。 | |
1975 | 50 | 市の人口六万人を突破。 | |
1977 | 52 | 市の花と木を「はぎ」と「まつ」に決定。北陸自動車道敦賀〜武生間開通。 | |
1978 | 53 | 初の国産発電用原子炉「ふげん」臨界。光化学スモッグ注意報発令。 | |
1980 | 55 | 北陸自動車道敦賀〜米原間開通。 | |
1981 | 56 | 五六豪雪。日本原子力発電敦賀発電所放射能漏洩事故発生。 | |
1982 | 57 | 敦賀新港起工式。敦賀市・ナホトカ市姉妹都市盟約締結調印式。 | |
1985 | 60 | 増殖炉「もんじゅ」建設工事開始。 | |
1986 | 61 | 敦賀女子短期大学開校。敦賀気比高校開校。 | |
1988 | 63 | 中郷古墳群が国の史跡に指定 |
平 成 |
1989 | 元年 | 昭和天皇崩御。元号「平成」が始まる。 嶺南ケーブルネットワークがケーブルテレビ放送開始。 |
1994 | 6 | 1994年 旧動力炉・核燃料開発事業団の高速増殖炉「もんじゅ」初臨界(1995年初送電)。 | |
1996 | 8 | 3月 国道8号敦賀バイパス田結 - 余座開通。これと同時に敦賀新港(鞠山埠頭)に接続 | |
1999 | 11 | 7月 新日本海フェリー、敦賀 - 新潟 - 秋田 - 苫小牧航路就航 | |
2003 | 15 | JR西日本小浜線直流電化開業。 国道476号木ノ芽峠トンネルが完成。 |
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2006 | 18 | 10月21日 敦賀駅までの直流電化に伴い、新快速電車を中心に直流電車が乗り入れ開始(直流電化開業)。 | |
2009 | 21 | 3月 敦賀港線の貨物列車運行終了。オフレールステーションとなり、事実上の廃線。 | |
2011 | 23 | 3月11日の東北地方太平洋沖地震発生、東京電力福島第一原子力発電所事故発生 | |
2012 | 24 | 北陸新幹線金沢〜敦賀間着工認可(2023年開通予定)。 | |
2013 | 25 | 3月31日 学校法人敦賀学園敦賀短期大学閉学4月1日 敦賀市立看護大学開学 | |
2014 | 26 | 7月20日 舞鶴若狭自動車道小浜-敦賀JCT開通。これにより舞鶴若狭道は全通。 |
原始・古代 | 古代街道 | |||||||
中 世 | ||||||||
近 世 | ||||||||
近 代(戦前 | ||||||||
近 代(戦後) | ||||||||
地 史・名 所 |