昭和、はじめの20年はまさに暗黒の時代であり、動乱の時代でもあった。それは恐慌に始まり、対内外の不安が強まり、血なまぐさい弾圧、暗殺、陰謀、クーデターが繰り返され、ファッシズムが戦争・惨禍をもたらした。
恐 慌

ニューヨーク・ウォール街の群衆
第一次世界大戦は日本に未曾有の戦争特需をもたらした、日本は世界の五大国に列する。しかし、戦争特需の反動で戦後恐慌に陥って日本資本主義の未熟・脆弱さ(国際競争力)を露呈していく。さらに、追い打ちをかけるように1923年(大正12年)9月1日関東大震災がおこった。その後に振り出された戦災手形を政府は金融緩和さくなどで救済しようとしたが、経営不安定による便乗手形もあり、不良債権化、金融恐慌となった。また、世界経済も第一次大戦後のインフレから緊縮財政と経済再生を目指したが、1929年ニューヨークウォール街から始まった世界大恐慌「暗黒の木曜日(Black Thursday)」はたちまち各国に波及した。

 1927年(昭和2年)3月23日
当時の取り付け騒ぎ
恐慌と戦争 Wikipediaより
恐慌と戦争の流れ
第一次世界大戦大戦景気) - 戦後恐慌 - 銀行恐慌 - 震災恐慌 - 金融恐慌 - 昭和恐慌 - 農業恐慌 - 昭和東北大飢饉 - 金解禁 - 重要産業統制法 - 満州事変 - 高橋財政 - 日中戦争支那事変
  当時の敦賀港対岸貿易  

敦賀市史通史編(下)より
第一次世界大戦後ロシアで大正6年3月(1917)社会主義革命が起こり、ソヴィエト連邦が成立。翌年、日本はシベリア出兵。シベリア出兵の輸送基地となった。敦賀港は数万の兵士を輸送し続け、一時は凖軍港的色彩を帯びていた。日ソ両国の対立の深まり、ソ連政情不安定、大正9年の世界恐慌によって対ソ貿易は一気に停滞した。しかし、朝鮮北部への直通航路、日本海横断航路が開始されると、対岸貿易の相手国は急速に朝鮮国への比重が多くなった。とりわけ、大和田荘七による「朝鮮牛」の輸入が行われた。
市朝鮮牛の輸入

博家畜検疫所全景(敦賀市縄間)

市昭和8年ごろの敦賀港(第二期港修築工事後)
  当時の農村  
  恐慌下の農村  更生施策   
 無産大衆の階級闘争
大恐慌、慢性的不況によって労働者や農民たちの生活は、根底から揺さぶられ破滅の淵にあった。ロシア革命後、共産主義政党による国際組織コミンテルンの影響もあって労働者、農民(小作農)、いわゆる無産大衆階級による争議が昭和に入って急増した。敦賀においても、劣悪な労働条件を強いられる底辺労働者、小作農民らによる階級意識の向上、組織化が進められた。  
全国争議の増加  沓見小作争議 底辺労働者の争議 敦賀キネマ争議

『日本の歴史』ファッシズムへの道
大内 力著中央公論社刊より
 
]昭和恐慌によって、農村において現金収入の減少、負債の増大が深刻化していた。地主への小作料減免を求めた。他方、松原村信用組合の破綻によって、組合員の無限責任による負債返済が生じ、争議の一因になった。昭和5年争議が発生した。小作人組合は全国農民組合(全農)に加入し、地主への要求貫徹を目指した。 敦賀での最初の労働争議は劣悪な労働環境で働く敦賀港仲仕の貨物積み下ろし賃金増額要求であった。(朝鮮人労働者も含まれる。)1930年には7月創立の敦賀労働組合(組合員275人)のほか敦賀建築労働組合(同120人)、敦賀映画従業員組合、敦賀木材労働組合、敦賀自由労働組合などがあった。 昭和6年10月、敦賀キネマの従業員20名が館主の解雇宣告に対してストライキに入り、館主側は休館して対抗した。争議は長引き、福井県全県の映画従業員巻き込め、全国労農大衆党の支援を受け闘争を続けた。

信露貴彦神社が鎮座する沓見集落

博大正~昭和敦賀港
 
 山中貞雄『人情紙風船』


昭和6年の労働争議
  闘争の衰退   
  昭和初頭から増加した労働争議・小作争議は戦時体制が進むにつれ、過酷な弾圧、農村が本来的に持つ保守性によって衰退していった。特に農村においては重税と借金の利子払いに小作農は生存の危機までの困窮を極めた。そもそも、思想・意識において明治維新後目指した近代国家は王政復古(天皇君主制)を内在し、初等教育から日本人に植え込まれた。この一般庶民の意識構造が闘争の進化を鈍くさせた。増して、戦時体制とともに偏狭なナショナリズムをも醸成していった。   
  戦時体制と敦賀
  世界大恐慌後、世界経済は各列強のブロック化(保護主義)が進み、ブロックの防衛と他ブロックへの進出へと傾斜していった。日本も植民地の朝鮮、満蒙を包括した円ブロック形成を急ぎ、大陸で軍事行動(満州事変・日中戦争)を起こし、傀儡国「満州国」を建設した。戦時体制が進むなか、地理的状況から国際港敦賀はその拠点となっていく。   

博陸軍第19歩兵連隊正門(敦賀市金山)

博敦賀憲兵隊分署(現 白銀町)
在郷軍人会
博防空訓練
 軍人町長 加藤惣次郎
博駅前通りを行進する軍隊 
在郷軍人会は本来戦時に備えての軍人的資質、涵養を目的にするものだが、満州事変が勃発すると敏感に反応し、北尋常小学校などで、市民を取り込み、戦意を高揚した。  前敦賀旅団長、陸軍少将であった加藤町長は恐慌下の不況にかかわらず、民政党(憲政)の町議員の反対を無視して、積極的な放漫財政を押し進めた。その財源はほとんど町債(町の借金)で賄われた。この極端な放漫財政に対する町民の不満強くなっていった。このような強引な町政は軍事体制の影の部分であった。このしわ寄せは不況下で苦しむ町民、とりわけ無産者大衆に犠牲を強いるものであった。 
f敦賀在郷軍人会
治安維持法と特別高等警察(特高)
  治安維持法1925年に大正14年4月22日法律第46号として制定され、1941年に全部改正された。共産主義革命運動の激化を懸念したものといわれているが、やがて宗教団体や、右翼活動、自由主義等、政府批判はすべて弾圧・粛清の対象となっていった。治安維持法の下、1925年(大正14年)から1945年(昭和20年)の間に70,000人以上が逮捕され、その10パーセントが起訴された。当時の植民地の朝鮮半島では民族の独立運動の弾圧に用い、2万3千人以上が検挙された。この治安維持法は為政者によって厳罰化、検挙対象の拡大、刑事手続きの変更(改悪)などがなされた。   
  特別高等警察(特高)  

大本教弾圧
警察によって破壊される大本教の神殿
 特別高等警察は共産主義者や社会主義者、および国家の存在を否認する者や過激な国家主義者を査察・内偵し、取り締まる政治警察である。内務省警保局保安課を総元締めとして、三・一五事件をうけ、1928年には「赤化への恐怖」を理由に全府県設けられ、1933年には小林多喜二に過酷な尋問(拷問)を行なって死亡させた。後に日本が戦時色を強めるにつれ、挙国一致体制を維持するため、その障害となりうる反戦運動や反政府的とみなした団体・活動に対する監視や取締りが行われるようになった。内偵活動によって「鵜の目鷹の目」体制がしかれ、、「銭湯の冗談も筒抜けになる」ようなことも逸話になった。 小林多喜二への拷問
母親は多喜二の身体に抱きすがった。「嗚呼、痛ましい…よくも人の大事な息子を、こんなになぶり殺しにできたもんだ」。そして傷痕を撫でさすりながら「どこがせつなかった?どこがせつなかった?」と泣いた。やがて涙は慟哭となった。「それ、もう一度立たねか、みんなのためもう一度立たねか!

3.15事件の検挙者
附・治安維持法とテロ等準備罪法案
  2017年6月14日「テロ等準備罪法案」が参議院で強行採決された。安倍政権は取り締まりの対象が、あくまでもテロ組織などの「組織的犯罪集団」に限定されており、「一般市民」は対象外であるとしている。しかし、「一たび内心を処罰する法律をつくれば、戦前の治安維持法のように時の政権と捜査機関次第で恣意的に解釈され、萎縮効果を生み、自由な社会を押し潰していく懸念はこれが歴史の教訓から否定できない。また、現下の国際情勢から、各国は相互に協力し合う枠組みが国際組織犯罪防止条約(パレルモ条約)である。国連加盟国の96%、187か国が締結しており、未締結国は日本を含めて11か国のみである。  
 現行法律の補完  拡大適用  歯止め 内心の自由  
テロリストが水源に毒を入れて多くの人を殺害し、社会に混乱を起こそうと計画した場合、現行法では計画を立てても、毒を購入しても、毒を持って水源地に行っても何もできません。現行法で逮捕できるのは、テロリストが水源に毒を投げ入れた瞬間である。 テロには反対でも、、テロ組織と同様にイスラム原理主義を信奉している団体が「テロ等準備罪法案」の取り締まりの対象にする拡大適用が懸念される。治安維持法第一号「学連事件」(京都帝国大学などの学生が組織した左翼思想サークルに対する弾圧事件)を想起させる。ある種の共感を抱き、研究を行なったというだけで、弾圧する道具となる。 11年前の共謀罪(成立せず)のものとは大きく異なる天は「重大な犯罪を行おうと具体的に合意したこと」を罪に問えた。しかし、今回のテロ等準備罪法案は、「合意に加えて実行準備行為があること」が、処罰の要件とされた。 わいせつ画像の投稿が行われた画像掲示板の管理者が通りすがりの投稿者との具体的なやりとりがなくとも「わいせつ物公然陳列の共謀共同正犯」であるとした有罪判例が下級審で存在し、また2003年の最高裁判例において暴力団組長が組員の銃刀法違反に関して黙示の共謀で共同正犯が成立した最高裁判例が存在する。
画像提供 博 印 敦賀市立博物館提供 市 印 敦賀市提供

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