平安初期、天長7年(830)木の芽峠ルートが開発される以前、敦賀(古代松原駅)から南越前町今庄(古代鹿蒜駅)への古代道は鹿蒜道(かひるみち)であった。木の芽山地の嶺から嶺、鹿蒜道は敦賀市街〜樫曲〜越坂〜田尻〜五幡浜〜杉津浜〜山中峠〜敦賀郡鹿蒜郷新道(南越前町)〜今庄をたどった。また山地を辿る陸路のほかに、敦賀津から海路で五幡、杉津の浜に着き、山中峠を越えるルートも主に官人たちに利用された。古代、木の芽山地は「かへる山」と呼ばれ、古歌に多く詠まれている。鹿蒜道は「万葉の道」とも呼ばれる。 可蒜流廻(カヒルミ)の 道行かん日は 五幡の 坂に袖を振れ われおし思わば 『万葉集』大伴家持 |
経 路 | |||
古代鹿蒜道は敦賀の古代松原駅から樫曲集落、通称「なます坂」の古道から越坂(おっさか)集落に向かう。古代の道の多くは山嶺を行く。この越坂からウツロギ峠への古道は定かではない。田尻集落を経ててウツロギ峠に向かう。田尻集落から平坦な舗装道路を進むと途切れたところにウツロギ峠がある。 | |||
ウツロギ峠越え |
樫曲集落 なます坂 越坂集落口 |
ウツロギ(空木)峠
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五幡への下り道 五幡浜への入り口 五幡浜 |
五幡浜〜杉津〜元比田〜山中峠 | |||
杉津浜より山中峠を望む |
五幡浜から挙野、利椋(とくら)峠を経て杉津に至る。杉津は古来「水津」だったが、後世「杉」を充てた。「源平盛衰記」の白山神輿登山の事に「15日にかえるの道(鹿蒜道)16日には水津の浦」とある。また、京へ攻め上った木曽義仲軍の先陣も、ここを通過した事が記されている。また、織田信長は越前一向一揆討伐のとき、木下藤吉などに杉津から攻めさせた。現在では元比田から山中峠への道は跡を残していない。 | 元比田集落 |
海の道 | ||||
うつろぎ峠を越えるルートとともに、敦賀津から杉津・元比田方面への海路も使われ、特に中央からの官人たちが多く利用した。 | ||||
式内社 田結神社 |
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田結集落入り口の記念碑 |
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杉津浜 |
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杉津より元比田まで海岸線を辿り山中峠へ |