深坂峠の標高370m、この深坂峠を貫き、敦賀・琵琶湖を結ぶ運河計画が近現代までなされた。峠近くの深坂地蔵(別名堀止地蔵)は伝える。この地蔵には塩を供える習いがあることから、敦賀湾、若狭湾各地の製塩がこの峠を越え、琵琶湖の水運で上方に運ばれたことも伝える。江戸時代になると大量の物資輸送が求められ、近世になって「新道越え」(現国道8号線)が開発された。地蔵堂下ったところに往時を偲ばせる問屋場跡がある。深坂越えの古道は徐々にその役割を終えて明治11年頃廃道となった。
塩津山といふ道のいとしげきを賎の男のあやしきさまどもして「なおからき道なりや」といふを聴きて
知りぬらむ 往来にならす 塩津山 世に経る道は からきものぞと

紫式部
万葉集に登場してこの塩津山(深坂越え)で「み越路の手向けに立ちて」として歌を詠む
鹽津(しおつ)山 打ち越え行けば 我が乗れる馬ぞつまづく 家恋ふらしも
笠金村(かさのかねむら)

 
深坂古道へのアクセス
敦賀より JR北陸本線新疋田駅より徒歩10分(深坂集落を通過)
滋賀県塩津より 国道8号近江鶴ケ丘バス停より徒歩17分深坂地蔵駐車場
 
 疋田
敦賀市街の南方にあって新道野道(現国道8号)と七里半越え(現国道161号)が合流点にある。疋田追分で七里半越え深坂越えの道に分かれた。この交通の要所に古代三関の一つ愛発の関があったと推定される。恵美押勝の乱では越前に入ろうとした恵美押勝はこの愛発の関で阻止された。また、戦国期朝倉家の前線基地である疋壇城が築かれた。江戸期七里半越えに沿って流れる五位川の鮎で「なれ鮨」が作られ、幕府に献上された。
峠への道

 疋田追分集落の道標

深坂古道入口 

つづら折りの道

小川が流れる道

 
深坂峠


  深坂峠周辺  
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深坂峠案内板

近江への道(塩津海道)

問屋跡

深坂地蔵(堀止地蔵)
新道野越え開発
  近世に入って北国から京畿へ物資の流通はますます増大していった。標高370mの深坂峠を越えるほかに、距離は半里は長くなるが標高が80mほど低い新道野越え(現国道8号)が開発された。近世以降、主街道となった。  
 松尾芭蕉の足跡 新道野

『奥の細道・素龍清書本』(西村家蔵)
国指定重要文化財

松風塚
松風の落葉か水の音すずし 芭蕉
 
旧問屋跡庭園(江戸初期)

峠のそば(西村家)
新道野案内板より作成
  琵琶湖水運・古代塩津浜   
現在の塩津浜(公園)

古代塩津浜港
滋賀県立安土考古博物館展示 

案内板

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