戦後、トンネル工事技術の発達と電化は、敦賀を取り巻く山々の切所を北陸・・深坂トンネルによって一気に貫かれた。昭和38年(1962)、北陸トンネルの開通によって電化され、福井県の嶺北と嶺南は近くなり、物流のみならず、人的交流もより盛んになった。開通以前は敦賀において滋賀県側との交流が多かったが、県内における変化が起こり、文化、教育面などに影響を及ぼした。 |
新検修庫 |
扇形庫 |
炭水2番線付近 |
ディーゼル上屋 |
ブログ「懐かしい駅の風景~線路配線図とともに」より |
切所の解消 | |||
13870m、一気に福井県苓北地方へ木の芽山地を突き抜ける。 古代より北陸道が通る |
滋賀県湖東地方へ 古代より深坂古道が通る |
北陸本線直流化と旅客運送の発展 | |||
北陸本線の電化は昭和32年(1957)交流によって敦賀~田村間から始まった。需要が少ない地域に適していた交流電気方式も直流電化によって、名古屋を中心として中京地区、大阪・京都の京阪神地区と敦賀及び北陸地区は直通化していった。結果、東(東海道)西(山陽道)へのアクセスは飛躍的に便利になった。 | |||
湖西線の開業 | 中京地区からの直通 | ||
1974年(昭和49年)7月20日山科駅 - 近江塩津駅間 (74.1km) が開業。北陸本線と接続。2006年10月21日 新快速・快速が敦賀駅まで延長され湖西線全区間運転となる。敦賀・京阪神京阪神からの直通列車を増発するためには直流化が必要と、湖西線と北陸線の直流化工事が行われれ、直通電車が運行されることになった。 |
223系8両による新快速敦賀行き |
名古屋・岐阜地域から日本海側には、米原経由で敦賀に至るルートが最短である。敦賀への観光客などは京阪神より中部地区からが多い。現在直通L特急しらさぎが運行している。 | 名古屋~北陸線直通特急しらさぎ |
消えていったもの |
戦後モータリゼーションの進展 |
蒸気機関車から電車へ | ||
事実上廃線となった敦賀港駅(2015・12・12撮影) |
スクラップ化した機関車方向転換台 |
昭和46年「蒸気機関車さよなら記念」碑 |
北陸新幹線 | |||||
1964年10月、世界初の高速鉄道である東海道新幹線が開通。翌年の9月26日、金沢市で開かれた「一日内閣」で北陸新幹線構想が発表された。爾来50年、金沢までの営業運転が2015年3月開始した。2023年までに敦賀までの延伸が予定されている。整備新幹線のネットワークの中で、敦賀は新しい時代を迎える。 | |||||
敦賀 |
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敦賀~大阪・3ルート | |||
新幹線不要論 敦賀市においては米原経由東海道新幹線で東京まで約3時間である。北陸新幹線が開通しても3時間前後かかる見通しであり、便数、並行在来線問題もあり、市民の中に「新幹線不要論」もある。 希望論 高速鉄道・道路のネットワーク構築の進展は、新たな可能性を与えるものでもある。ネットワークの高速化、広範化は人の流通のそれでもある。中継の町として幾多の繁栄を得た従来のものではなく、如何にハイスピード化する人々を敦賀の地で留めるか、通過点化しかねない敦賀の町で積極的なターミナル化が新しいチャンスを生む。 フリーゲージトレインの導入 敦賀以西についてフリーゲージトレインの導入が計画されている。可能であれば在来線への乗りいれが可能になる。しかし、技術的な問題、在来線の線路補修費用の高騰が懸念されている。しかし、2014年試験車両の設計・製作に着手、2016年敦賀で走行試験を開始予定。 |
若狭(小浜)ルート 2009年、福井新聞社が行った福井県民の世論調査では、嶺南では若狭ルート、嶺北では米原ルート支持が多かったが、3ルートとも20%強で大差は無く、主たる受益者と想定される福井県民ですら意見が分かれている。また、3ルート中もっとも需要が少なく、開業後の費用対効果、波及効果に問題がある。しかし、当初計画の日本海国土軸の構築に寄与する。即ち、東京~大阪間で二重系統が完全に構築される。 米原ルート 3ルート中もっとも需要があり、波及効果も大きい。特に関西地域および敦賀以北の北陸地域の波及効果が大きい。しかし、東海道新幹線との接続が不透明である。 湖西ルート 米原ルートとメリット・デメリットが近似するが、敦賀にとっても関西への時間的メリットがある。このルートに関して、現在の湖西線における「比良おろし」による運転見合わせが多発する懸念がある。 若狭・京都経由ルート 京都の重要性と福井県嶺南地方のメリットを加味したルート。 |