一万数千年も続いた縄文時代は紀元前2,3世紀ごろ終わりをつげた。新しく、稲作と鉄器を使用する弥生時代が始まる。稲作の普及はより安定的な食糧を得ることになり、金属器は飛躍的に生産性を向上させた。しかし、余剰生産は「格差」を生み、水利と土地の確保、拡大は他の集落との「争い」を生んだ時代でもあった。 |
稲 作 稲作のはじまりと地域小国家の形成
現在、稲作の起源は数ま年前の中国長江流域の湖南省周辺地域とされている。日本への伝来は、3ルートが考えられる。朝鮮半島南部を経由した説、中国大陸からの直接ルート、台湾、沖縄など南方諸島を経由した説である。稲作の普及は九州から西日本、東北地方へ普及した。稲作の普及は食料の安定をもたらし、ついで水田の拡大は集落間の争いを発生させた。集落内の貧富の差と集落の併合、地域のおける共同体が生まれた。そして、小国群の形成に進み、弥生時代後期には地域連合国家の出現を見るに至る。日本列島への普及
朝鮮半島から北九州、中国から直接、南方諸島を経て南九州に渡来した稲作は西日本地方、東国地方へ普及していった。しかし、続縄文の状態であった東北地方への普及は後の時代になる。
荒神谷史跡展示より |
青銅器 |
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荒神谷史跡銅矛・銅鐸出土状況 |
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荒神谷史跡 島根県出雲市斐川町神庭の小さな谷間にある遺跡。国の史跡に指定 1984年 - 1985年の2か年の発掘調査で、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土した。 |
戦いの痕跡 青谷上寺地遺跡 | ||||
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銅製の矢じりが突き刺さった人骨 |
朱色に塗られた楯 |
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鳥取県教育委員会発行「青谷上寺地遺跡」パンフレットより転載 |