若狭三方縄文博物館内壁画より作成
一万数千年に及ぶ日本の縄文時代、採集・狩猟社会におけるその持続性は世界に類を見ない。その持続性は日本列島の位置、自然環境に因るところが多い。また、この縄文時代に形成された地域の気候帯、多様な民族(文化)の日本列島への流入は、後に続く弥生時代以降の日本の歴史に大きく影響を及ぼす。 |
敦賀の縄文遺跡 | |||
最終氷期の最寒冷期後、約一万九千年前から海面上昇が始まった。(縄文海進)その後、沖積層の推積が追いつき、縄文前期(紀元前五千年前)頃には、海面は現在より2~3m高かったと思われている。敦賀では、地域によって差異はあったと思われるが、現在の南部の扇状地域以外平野部まで海底であったと推測される。 | |||
集落調査例と主な古墳群 |
画像 若狭三方縄文博物館展示 及び常設展示図録より作成 |
若狭三方縄文博物館公式ホームページ |
循環と共生 土器と火を使うことによって縄文人は、想像以上に安定的な食生活を得ていた。食料は狩猟と採集であるが、栗の木など植生、落とし穴などの狩猟技術などで安定的であった。それは定住を可能にし、集落が営まれた。集落の人々は自然の「循環」とともに「共生」していた。
煮炊き
殻むきとすり潰し
石器原材を丸木舟で運ぶ木々と石の道具
家 族
木器を削る
石匙・石槍・石鏃
縄文時代前期、鳥浜の人達は木の特性を熟知し、伐採用の石斧柄にはユズリハ属、丸木船には杉、櫂にはヤマグワといったように道具の用材を使いわけました。 また、容器製作では樹種選択から木取り、漆塗装まで一貫した製作体系があり、一個の品物を異なる集落の人々が分業して作り上げるシステムもあったようです。(図表説明文より)
また、切る、削る、割るなどの為に強く営利な石器のために黒曜石、サヌカイト(讃岐石)、輝石安山岩などを各地から手に入れていた。石器原材の伝搬
四季の営み | |||
芋掘り 縄をなう |
四季の移り変わりの中で、営々と続く循環に適応して縄文人は海山で採集と狩猟を繰り返した。生存以上の余剰生産物は殆ど無く、分配の争いもなく、共生していたと思われる。生産性の向上は共生する人々への豊かさに貢献される。 | 丸木舟造り 落とし穴猟 |
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画像 若狭三方縄文博物館展示 及び常設展示図録より作成 |
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近 代(戦後) | ||||||||
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