中世、12世紀中ごろから13世紀にかけて、新興の武士や農民の求めるところから、新しい宗派が興った。鎌倉新仏教と呼ばれる浄土宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗、臨済宗、曹洞宗である。これら新仏教はただ信仰によって在家(在俗生活)のままで救われると説く。戦国期、信長の比叡山焼き討ち、本願寺の一向一揆を経て、武家による統一政権が成立すると、近世、仏教はキリスト教弾圧の為に利用され、寺請け制度(宗門改め)が確立、その後民衆の調査統制の役割となっていく。当然、敦賀津においてもこの動きから門外ではなかった。
敦賀の諸宗 
  中世、越前・加賀は一向宗が盛んなであった。しかし、敦賀においては様相が異なる。寺院数では禅宗、浄土宗、浄土真宗(一向宗)が多いが、日蓮宗も町衆や西浦漁民の信仰を集めている。  


法華宗 妙泉寺付近風景(昭和30年代)
敦賀市浦底
新芸美協会羽田正隆画 管理者(蔵) 
敦賀郡の寺院(江戸期)
宗 旨  敦賀町 松原   東浦 東郷  中郷   愛発  粟野  計
禅 宗  7 12 7 2 3 7 23 61 
浄土宗  6 10 10 4 2 7 9 48
一向宗  14 3 5 15 3 2 1 43
法華宗  9 2 1 - - - - 12
真言宗  4 1 - 3 - - - 8
天台宗  2 - - - - 1 1 4
 時 宗 1 2 - 1 - - - 4
賛門徒  2 1 - - - - 3
45 30 24 25 8 17 34 183
『指掌録』『敦賀一目鏡』より作成 『敦賀市史(上)


敦賀津の仏教


浄土宗 西福寺庭園

禅宗 永建寺
日蓮宗  時 宗 浄土宗  曹洞宗
京都妙蓮寺末寺として妙泉寺(浦底)と本妙寺(元町・元上嶋寺町)がある。開山はともに日敬で、天授二年(1378)に妙泉寺、翌年本妙寺を創建した。また、京都本能寺派のホ勝寺(元町)がある。日蓮宗は敦賀津の町衆、西浦の浦人たちの信仰を集め、織田信長一向一揆討伐では信長に与力した。 お砂もち神事で知られる遊行第二世他阿真教が鎌倉時代末正安三年(1301)敦賀および近辺に遊行勧化し、井川の新善光寺が時宗に改宗した。また、時宗遊行派の国阿は嘉慶元年(1387)が北陸路を遊行し、松島道場来迎寺を創建し、一方の時宗の拠点とした。敦賀津での時宗の発展は浄土真宗にも影響を与え、越前三門徒派の如導も踊躍念仏を修した。 南北朝争乱初期のころ、敦賀津郊外の原に武士山内氏の保護を受けて西福寺が創建された。その後寺勢を伸ばし、敦賀津における浄土宗の拠点となった.また、時を同じくして敦賀津内には元気比社神宮寺のなかの釈迦寺だった善妙寺(神楽町)が創建された。敦賀津におけるもう一方の拠点になった。 松島町にある曹紹山永建寺は応永二年(1395)は小室真宗によって開創したと伝えられる。敦賀でもうひとつ有力な曹洞宗の寺院は勝載山永巌寺(金ヶ崎町)である。永建寺第三世住持東渓宗陽が応永二十年に、寺屋敷町に創建した。永建寺は敦賀津近辺の住民による田畠などの寄進によるところが多く、まさに庶民の寺として存続していく。

本妙寺(元町)

来迎寺(松島)

西福寺(原)

永巌寺(金ヶ崎)
古代からの寺院 浄土真宗(一向宗)
敦賀津の中世において新しく発展した仏教諸院の他に、もちろん古代から信仰を集めた寺院もある。著名なものとして、天平八年(738)最澄大師開山と伝えられる誓法山金前寺である。もと気比社神宮寺のなかの密言院であったとされる。建暦二年(1212)「気比宮政所作田所当米等注進状」によれば敦賀郡に仁王講田五反歩があったとされ、越前国にとって重要な寺であったことが知られる。 金前寺(金ヶ崎町) 中世後期、越前国は加賀、越中と並んで浄土真宗本願寺派(一向宗)の勢力が強かった。しかし、敦賀津と一向宗の関係は薄い。中世末もしくは近世において、高徳寺など数カ寺を数える。織田信長の越前一向一揆制圧時においても一向宗の動きはほとんどなかった。
高徳寺(神楽町) 
江戸期の仏教
  江戸期、武士の統一政権は寺院が持っていた世俗の中世的特権を排して、諸寺院法度を制定した。引いては、本末制・触頭制による寺院組織を確定していく。また、キリシタン禁圧のために宗門改め(寺請け制度)を行った。それも民衆の戸籍原簿や租税台帳の側面を持ち、民衆管理的なものになり、現代の戸籍制度的なものになる。また、寺院も檀家制度によって寺院に一定の信徒と収入を保証される形となった。  
寺院の本末制(例)  宗門改め(寺請け制度)  
善妙寺とその末寺(元禄9)
長福寺(中村)・真正寺(追分村)・良閑寺(泉村)・大信院(宮内村)・子谷寺(丁持町)

永建寺とその末寺
(宝永3年)
一峯庵(長谷)・長仙庵(山)・長安軒(山)・養徳庵(長谷)・吉祥庵(田結)・西方寺(鳩原)・惣福庵(長谷)・永福庵(山)・松林寺(小河)・福田寺(奥麻生)・宗清寺(縄間)・円光庵(山)

永建寺文書より作成 『敦賀市史(上)』

浄土宗 善妙寺(敦賀市神楽町1)
宗門改めは現代の戸籍制度的なものになった。寺院の「過去帳」は檀家の故人を記す。各家の累代の記録が記述された個人情報のデータベースとも言え、寺院によっては死因や身分、生前の事跡などが詳細に記述されている場合もある。現在個人情報保護と言う観点から寺院の過去帳は閲覧禁止とする寺院が多い。また、近年差別戒名記載に関して各宗派による調査が行われ、差別的記述の削除改訂・過去帳新調などの対応がとられている。
寺院用過去帳
 本末制 宗門改め
現存する板碑 
 
高さ74・幅25・厚さ12cm
(応永9年)

曹洞宗 永建寺(松島)
板碑は中世仏教で使われた供養搭。板状の石材に梵字(種字)、供養者名、供養年月日、供養内容を刻む。現代の卒塔婆に繋がる。
高さ46・幅21・厚さ11cm
(応永21年)


永巌寺(金ヶ崎) 

日蓮宗 妙泉寺(敦賀市浦底)板碑群


山積みにされた無縁墓の中の板碑

敦賀の小板碑
橋詰久幸著『敦賀市史研究二号』ノート敦賀の小板碑

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