敦賀の歴史制作・管理室
「敦賀の歴史」サイトは

金ヶ崎の退き口
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玄蕃尾城跡
当サイトは公的機関、研究組織、研究者各位の研究成果を参考に作成されています。歴史認識の諸説から特定のものを支持、主張しないように心がけています。 当サイトの画像について、無断使用しないでください。主旨、目的によって使用に協力致します。著作権は制作・管理人に有ります。但し、他者からの提供画像の無断使用は固く禁じます。

管理人燻製作り
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一揆首謀者甚三郎の供養石仏
 主な参考文献 
リンクフリーですが、リンク先の内容の信頼性などについては責任を負いません。営利目的や勧誘を目的とするもの、公序良俗に反するもの、、当サイトの趣旨に合ないホームページからのリンクはご遠慮ください。 ●福井県史「通史編」●図説福井県史●敦賀市史「通史編」●敦賀郡史C気比社史●気比史学会歴史講座資料●信長公記●朝倉始末記●太平記 その他小説、歴史論文等
  制作・管理人プロフィール   
   ■制作・管理人  辻野清勝 ■福井県敦賀市在住 ■業種履歴 広告業・情報誌出版 ■趣味 低山トレッキング・自転車ツーリング・燻製作り・魚干物作り  
  制作・管理人雑感   
敦賀の町は古代より天然の良港と交通の要地として、盛衰を繰り返してきた。先の太平洋戦争で市街中心地域を焼夷弾で焼かれた。被災都市でもっとも小さな町だった。多くの歴史遺産を無くした。一変した。しかし、特別都市計画法によって町は多くの広い道路、インフラ資産を得た。そして天筒山の焼け跡も次第に木々に埋まり、町の地勢も変化・拡張していった。しかし、この繁栄の他方で河川は細く、または姿を消し、里山は徐々に人の手から離れ、荒れだしている。そして、敦賀盛衰の象徴である港は戦後その相対的地位を低下させている。日本最初のポートトレイン(港線)は事実上の廃線となっている。新しくできるもの、回復するもの、そして失われていくものがある。。つれづれに、カメラを持ってこの町を歩き、歴史的に古く、特異な歴史を刻んできたこの地方都市の歴史をWebサイトに残そうと思い立った。  
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