渤海使来航年譜
渤海から日本

回数 来航年 元号(日本) 元号(渤海) 正使名 天皇 渤海王 出典
1 727年 神亀4年 仁安5年 高仁義 聖武 大武芸 続紀
2 739年 天平11年 大興2年 胥要徳 聖武 大欽茂 続紀
3 752年 勝宝4年 大興15年 慕施蒙 孝謙 大欽茂 続紀
4 758年 宝字2年 大興21年 揚承慶 孝謙 大欽茂 続紀
5 759年 宝字3年 大興22年 高南申 淳仁 大欽茂 続紀
6 762年 宝字6年 大興25年 王新福 淳仁 大欽茂 続紀
7 771年 宝亀2年 大興34年 壱万福 光仁 大欽茂 続紀
8 773年 宝亀4年 大興36年 烏須弗 光仁 大欽茂 続紀
9 776年 宝亀7年 大興39年 史都蒙 光仁 大欽茂 続紀
10 778年 宝亀9年 大興41年 張仙寿 光仁 大欽茂 続紀
11 779年 宝亀10年 大興42年 高洋弼 光仁 大欽茂 続紀
12 786年 延暦5年 大興49年 李元泰 桓武 大欽茂 続紀
13 795年 延暦14年 正暦元年 呂定琳 桓武 大嵩? 国史
14 798年 延暦17年 正暦4年 大昌泰 桓武 大嵩? 国史
15 809年 大同4年 正暦15年 高南容 嵯峨 大嵩? 国史
16 810年 弘仁元年 永徳元年 高南容 嵯峨 大元瑜 後紀
17 814年 弘仁5年 朱雀2年 王孝廉 嵯峨 大言義 後紀
18 818年 弘仁9年 朱雀5年 慕威徳 嵯峨 大元義 国史
19 819年 弘仁10年 建興元年 李承英 嵯峨 大仁秀 国史
20 821年 弘仁12年 建興3年 王文矩 嵯峨 大仁秀 国史
21 823年 弘仁14年 建興5年 貞泰 嵯峨 大仁秀 国史
22 827年 天長4年 建興9年 王文矩 淳和 大仁秀 国史
23 841年 承和8年 咸和11年 福賀延 仁明 大彝震 後紀
24 848年 嘉祥元年 咸和18年 王文矩 仁明 大彝震 後紀
25 859年 天安3年 烏孝慎 文徳 大虔晃 実録
26 861年 貞観3年 李居正 清和 大虔晃 実録
27 871年 貞観13年 楊成規 清和 大虔晃 実録
28 876年 貞観18年 楊中遠 清和 大玄錫 実録
29 882年 元慶6年 ? 陽成 大玄錫 紀略
30 892年 寛平4年 王亀謀? 宇多 大玄錫 紀略
31 894年 寛平6年 ? 宇多 ?? 紀略
32 908年 延喜8年 ? 醍醐 ?? 紀略
33 919年 延喜19年 ? 醍醐 ?? 紀略
34 922年 延喜22年 不明 醍醐 ??
35 927年 延長7年 天顕2年 ? 醍醐 耶律突欲
注:第35回使節は東丹国よりの使者が渤海使を名乗ったものである。天顕はの年号。


遣渤海使年譜
日本から渤海

回数 派遣年 元号(日本) 元号(渤海) 正使名 天皇 渤海王 備考 出典
  720年 養老4年 仁安元年 諸君鞍男 元正天皇 武王 遣於靺鞨国観其風俗 続日本紀
1 728年 神亀5年 仁安9年 引田朝臣虫麻呂 聖武天皇 武王 送渤海客使 続日本紀
2 740年 天平12年 大興3年 大伴宿禰犬養 聖武天皇 文王 遣渤海大使 続日本紀
3 758年 天平宝字2年 大興21年 小野朝臣田守 孝謙天皇 文王 遣渤海大使、渤海使揚承慶を伴う、安史の乱報告 続日本紀
4 759年 天平宝字3年 大興22年 高元度 淳仁天皇 文王 迎入唐大使使 続日本紀
5 760年 天平宝字4年 大興23年 陽侯史玲? 淳仁天皇 文王 送高南申使 続日本紀
6 762年 天平宝字6年 大興25年 高麗朝臣大山 淳仁天皇 文王 遣高麗使、渤海使王新福を伴う 続日本紀
7 763年 天平宝字7年 大興26年 多治比真人小耳 淳仁天皇 文王 送高麗人使、正使渡航せず、板振鎌束漂流して帰国 続日本紀
8 772年 宝亀3年 大興35年 武生鳥守 光仁天皇 文王 送渤海客使 続日本紀
9 777年 宝亀8年 大興40年 高麗朝臣殿継 光仁天皇 文王 送使、渤海使張仙寿を伴う 続日本紀
10 779年 宝亀10年 大興42年 大網公広道 光仁天皇 文王 送高麗客使 続日本紀
  787年 延暦6年 大興50年   桓武天皇 文王 渤海使李元泰に船1艘、操舵手、船頭、水手を給す 続日本紀
11 796年 延暦15年 正暦2年 御長真人広岳 桓武天皇 康王 送渤海客使 日本後紀
12 798年 延暦17年 正暦4年 内蔵宿禰賀茂麻呂 桓武天皇 康王 遣渤海使 日本後紀
13 799年 延暦18年 正暦5年 滋野宿禰船白 桓武天皇 康王 押送 日本後紀
14 811年 弘仁2年 永徳2年 林宿禰東人 嵯峨天皇 定王 送渤海客使 日本後紀
13回説では第4回を除き、15回説では786年(又は720年)を含む。

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